真田信繁の逸話(その2) [歴史]
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真田信繁の逸話、伝説ですが、そもそも、この真田信繁って、真田幸村のことだってことだけど・・・
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前回に続いて、真田信繁〔幸村)の逸話、伝説の話、つづけます。
よく調べてみると、真田幸村という名前は、江戸時代になって、軍記ものの武勇伝として講談で語られだしてからついた名前で、生前に本人が使っていたという記録はないようだ。
で、何で、「幸村」なの、正確には記録が残っていないので、誰にも分からないのだけど・・・・
「幸」の字は、真田家の当主に受け継がれる名前であるのに異論は無いようだけど、「村」の文字が良くわからない。徳川家を呪った妖刀「村正」の「村」の字から取ったのではないかと言われている。
真田幸村の旗印の「六文銭」と「赤備え(あかぞなえ」という、真っ赤な鎧甲を身につけて、戦に向かったことから言われている。「六文銭」が三途の川の渡り銭で、つまり、死をもいとわない覚悟で戦場に向かうという意気をたとえたものであるようだ。「赤備え」は元の君主の武田家に古来から伝わるものである。
ちょっと話はそれるが、黒澤明監督の「影武者」と角川春樹監督の「天と地と」、それぞれ、「長篠の戦い」、「川中島の戦い」を描いているのだが、黒澤監督は武田軍を黒備えの騎兵「風」部隊、長柄の槍を持った歩兵「林」部隊、赤備えの騎兵「火」部隊と「黒」「緑」「赤」と色分けして描いた。一方、角川監督は「黒と赤のエクスタシー」をキャッチコピーにした通り、黒備えの「上杉軍」、赤備えの「武田軍」と史実に忠実に描いた。
NHK大河ドラマは、2016年の放映なので、まだ、まだ、先で、撮影すら始まっていないのだけれど。
今後も、注目していきたいです。
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タグ:真田信繁(幸村)
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