河野談話検証結果発表 外務省(その2) [国際政治]
「河野談話 検証 海外の反応」というタイトルで複数メモしてきたが、この河野談話、その先にあった「村山談話」のルートと言うべきものが見つかった。 前メモ「河野談話検証結果発表 外務省(その1)」に引き続き、以下に引用させていただくが、これが、原因であれば、政府もマスコミも手が出ないのではないだろうか? 現代日本の最大のタブーである。また、これは、慰安婦問題だけでなく、靖国問題の原因であることも分かってくる。
1980年代の後半、日本の変節が始まった。そして、1980年代と共に「昭和」が終わった。
http://www.47news.jp/PN/200902/PN2009020601000980.-.-.CI0003.jpg
小和田家の謎・雅子妃の闇 Part.2 ~父・小和田恒氏から日本政府の自虐史は始まった~
http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/6200b9775003bf50ff151451e66b0066
「日本世論の会 愛知県支部」さまより抜粋転載
「村山談話が発端ではない」
講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では
平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、
今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。
また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、
その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。
それから三十四年後(昭和60年・1985年)、小和田恆氏はそれまでの政府見解を弊履の如くうち捨てて、
日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという
裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更したのである。この国会答弁を機にして、
政治家、マスコミ、知識人たちは錦の御旗を得たとばかりに自虐史観を募らせることになる。
小和田解釈の翌年八月十五日に中曽根首相(当時)は中国の胡耀邦総書記に書簡を送ることになる。
「戦後四十年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなお、アジア近隣諸国民の心中深く残されており、
侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、
貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、
今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。
二四六万に及ぶ一般の戦死者の遺族は、極少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、
死者に罪なしという日本人独自の生死観により神社の独自の判断により祀られたが故に、
日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定される事には、深刻な悲しみと不満を持っているものであります」
一国の首相が他国の最高指導者に宛てて斯くも卑屈な態度を呈するというのは、
どのように解釈しても国民の常識を超えている。当然この書簡に書かれたことは更に二十年後、
中国によって持ち出されることになる。王毅駐日大使が
首相、外相、官房長官は靖国神社に参拝しないとの「紳士協定」が中曽根内閣時代にできたと公言する。
当の中曽根氏は「事実に全く反する。大使の記憶違いじゃないか」と否定、中国大使館に
「事実無根だ」と抗議したというが、中国からみれば、紳士協定ができたとの認識は当然であろう。
一国のトップが一国のトップに書簡を送り、公式参拝を行わない高度の政治決断をしたと明言したのだから。
生粋の日本人である筆者であっても、そう解釈をせざるを得ないのだ。
さて、わが国に自虐的で卑屈な風潮が蔓延る原因は村山談話や不戦決議などではなく、
昭和六十年の小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁にすべてが発しているのである。
元々火のないところに火を付けたのが小和田氏であり、そこに油を注いだのが中曽根氏なのである。
私たち日本人はこのことを永久に記憶に留めて置かなければならないのだ。
小和田氏も中曽根氏も自己の属する国家に唾を吐きかけ、先輩に唾を吐きかけることで国の内外に高い名声を誇っている。
小和田氏は国際司法裁判所所長であり、中曽根氏は大勲位である。かたや田母神氏のように
「日本人は誇りを!」と述べた人間は有無を言わせずに、名誉を剥奪され、公職を追われる破目になる。嗚呼。
2009-04-10
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自虐史観という洗脳がとける「魔法の動画」です。拡散してください!
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